西暦2100年TOKYOは、杜の都、水路の街、干潟の海。それは“いのちの森”から始まった。
Posted in いのちの森 2010
『西暦2100年TOKYOは、杜の都、水路の街、干潟の海。
それは“いのちの森”から始まった。』
~100年かけて育った森からはじめる、100年先の森づくり~
表参道のケヤキを植え替えるという話しを耳にしました。とても心が痛みました。90年前に明治神宮の杜ができた時、表参道の整備と合わせて植林されたケヤキだとうかがいました。100年生き続けているいのちであり、明治神宮の杜とは兄弟のような木々だと思いました。 明治神宮から代々木八幡神社に向かう途中には、「渋谷はるのおがわプレーパーク」があります。ここには「ケヤキくん」と名付けられた大きなケヤキがあります。やはり幹線道路沿いなためか痛んでおり、伐採される運命でしたが、「はるプレ」の親子たちが、根元に小さく深い穴をたくさん空けて通気を良くしたり、懸命に努力して、先日樹木医さんから、健康な状態に戻ったとお墨付きを受け、伐採を免れました。 「緑の回廊」(コリドー)というものがあります。森が開発などによって分断され、動植物が自由に行き来できなくなったことへの対処として、野生生物が自由に往来できるグリーンベルトを造るものです。国内では主に国立公園で実施されています。 明治神宮の森には、“野生”(ワイルダネス)があります。オオタカが営巣できる生態系があります。都心の野生生物にとっての“母なる森”です。現代人は都市の緑化を目指していますが、壁や屋上を人に都合のいい程度に“緑色”にしているだけかもしれません。残念ながら、そこに自然=多様ないのちの営み を観ることはできません。 これからの東京について考える時、そして100年後という長期ビジョンを思い描く時、今のコンクリート砂漠の都市にいかに野生を取り戻し、人がいかにして人間性を取り戻すかが、カギだと思っています。新たに自然を造るのではなく、今ある自然(野生)を母として広がる、と考える方が自然だと思います。それを東京都心に置き換えるならば、明治神宮の自然が、周辺にじわじわと広がることだと思います。 それは表参道を通って、道や川やお堀を伝って、ビルの屋上を経由してかもしれません。元々は湿地が多く、川が多く、水豊かなところであった江戸、武蔵野です。まずは、アスファルトとコンクリートをはがして木や草を植える。神宮の杜から沸き出た清水を、きれいな小川の流れのままにどこまでも流す。水は大地の血液です。そして草や虫や鳥たちが自然の再生を助けてくれ、豊かな大地が戻って来る。なにも難しいことではないと思います。 西暦2100年の東京・・・。表参道からは車がいなくなり、車道のアスファルトははがされ、ケヤキ並木を中心に、中〜低木が茂るグリーンベルトが青山までつながり、明治神宮に棲む生き物たち、鳥・小動物・虫・昆虫・種子などが、表参道を自由に行き来しています。そこはまさに「いのちの回廊」です。 南の表参道を抜けたいのちの回廊は、青山霊園とつながり、麻布や恵比寿、目黒、高輪ともつながることでしょう。北の裏参道を通るいのちの回廊は、新宿御苑を結び、神宮外苑や迎賓館、赤坂御所を結び、お堀端を通って、皇居ともつながることでしょう。ここからお茶の水、神田川をさかのぼれば、善福寺、石神井、井の頭の湧水池にたどり着きます。 明治神宮の湧水は、新宿御苑からの湧水と合流し、渋谷川の名で原宿、渋谷を抜け、名を古川と変えて麻布を抜け、増上寺から浜松町、海へと注がれています。陸での動きは海にも伝わり、東京湾に干潟を取り戻す動きも盛んです。都内の主要な公園や緑地は、水の道、植物の道を通じて結ばれています。森と水路に囲まれた暮らしは、TOKYOに潤いを与え、いのちあふれる街へとシフトし、人々もまたいのちの力を敬い、いきいきと生きています・・・。 そんなビジョンを描きながら、「いのちの森」の活動が、まずは表参道・原宿へと拡がることを願っています。荒唐無稽なストーリーかもしれませんが、私たちには夢が必要だとは思いませんか。 ケヤキ並木が悲鳴を上げているのは、現代人へのシグナルだと思います。従来通りの伐採〜植樹というようなリセット型の対処法は、今日の都市の有り様やシステムとも重なって見えてきます。アインシュタインは言っています。ある問題を引き起こしたのと同じマインドセット(考え方や心のありよう)のままで、その問題を解決することはできないと。つまり、全く異なるやり方でないと、異なる答え導き出すことはできないのです。環境問題への対処などまさにその通りで、いくらエコ技術が進んでも、問題は決して解決しないでしょう。しかし、抜本的なところである、いのちのつながりを大切にすることで、解決する道は開けてくると思います。新たなチャンスを創造していきたいものです。 自然を単なる資源としてとらえる物質文明とは異なり、日本人は古来より人間も自然の一部であり、自然の中に神々が宿ると信じてきました。そんな自然への畏怖畏敬の念と日本の造林学との融合がなし得た大きな成果が、明治神宮の森です。私たちが今後自然を再生し「いのちの森」を取り戻していく上での、大切な道しるべになっていると思います。100年後を思い、人の手によって造られたこの森から、再び100年後を思い、未来の東京に生きる子供たちのために、今はじめる。明治神宮からはじまる「いのちの森」の活動が、未来への希望につながることを願うものです。 文責:河内聰雄(いのちの森実行委員会事務局長 2009年12月)